餃子のイデア

餃子が好きです。


母もそれを知っているので、腕によりをかけて作ってくれます。


それで、「美味い美味い」と食べるわけですが、たいていの場合母は「なんか納得いかないな~」的な顔をしています。


「ずいぶん理想が高いんだな」と思っていたのですが、よくよく話を聞いてみると、今までほかの人が作った餃子も、自分で作った餃子も、お店で食べた餃子も、どれも納得のいくものではなかったようです。


現実に美味しい餃子に巡り合ったことがないのに理想の餃子を追い求める――なんだか不思議な気もしたのですが、「もしかしたら、母は餃子のイデアを追い求めているということなのかもしれない」という考えに思い当たり、今まで机上の知識でしかなかったプラトンのイデア論が少しだけ実感できたような気がしました……っていうのはこじつけに過ぎるでしょうか(^_^;)。