気になっていた本、『AI VS. 教科書が読めない子どもたち』を読みました

どうも、kotaroです。

 

今日はひさしぶりに市立図書館へ行ってきました。しばらく前から、仕事が非番の日に用事済ませてから図書館に立ち寄るのを習慣にしていたのですが、ここ1ヶ月ほどは、都合がつけやすい日が休館日だったり、そもそも風邪をひいてしまい、咳がひどくて外出を控えていたりで、なかなか足を運べませんでした。

 

ひさびさの図書館で、気になっていた本を借りてきたり、蔵書が無い本はリクエストしたりしてきました。借りてきた本の1つが、タイトルの『AI VS. 教科書が読めない子どもたち』です。

 

帰宅してから、一気に読み進めたのですが、なかなか興味深い内容でした。

 

大まかな内容としては、前半部で「いわゆるAI」について研究の動向についての記述があり、後半で中高生の読解力についての調査結果と考察、終盤で「いわゆるAI」が普及した近未来社会について、主に労働がどうなるか、という観点で著者の予測と希望が書かれています。

 

前半部については、最近、「シンギュラリティ」という言葉が一人歩きしている感がありますが、著者が研究者としての立場から、「(少なくとも現在の研究の延長線上からは)シンギュラリティはありえない」と断言していたのが印象的でした。

 

後半の読解力に関する部分が、一番興味があった部分です。内容についてはある意味期待どおりというか何というか……。読解力の程度は10代である程度固定することがかなり多いようで、著者に取材した記者が問題点を理解していない記述は薄ら寒いものもおぼえました。

 

ちなみに、調査に使われた問題がいくつか掲載されているのですが、油断したのかぼくも読解力に問題があるのか、2問ほど間違ってしまいました(苦笑)。

 

終盤の記述に関しては、著者にも少々混乱が見られるのかな、と思える部分がありました。

 

「いわゆるAI」が普及した場合、それなりに多くの仕事が人の手を必要としなくなります。前半部では、「『今までも人類は機械化に新しい仕事を作ることで対処してきた』と、楽観的に主張する人がいるが、過去の変化にもタイムラグはあり、『いわゆるAI』が普及した場合、変化は過去のどの時代よりも大きいので、人類がすぐに対処できるかは疑問がある」みたいなことを書いているのですが、終盤では、著者が否定的に論じていたはずの、「新しい仕事を作ることで対応すべきだ」的な論調になっています。まあ、身も蓋もない予測よりも、希望を書きたかったということなのでしょうか。

 

「『いわゆるAI』が普及した社会で、『人間ならでは』の仕事をしようにも、すでに『いわゆるAI』の能力は、人間の上位20%に入るくらいに達している」という指摘はなかなか重いものがあります。

 

「では我々はどうすべきなのか?」という処方箋がはっきり書かれている本ではありませんが、考えるきっかけとして一読の価値はあると思います。

 

AI VS. 教科書が読めない子どもたち

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……こういう記事は、「アマゾン・アソシエイト」の契約してから書いたほうがいいのかな(^^ゞ。