「炎上上等!」と言うけれど……

ども、kotaro(@kotaronline)です。

 

「炎上を恐れるな」とか「炎上すると知名度が上がるから、結局はトクになる」みたいなことを言う人っていますよね。

 

ホリエモンこと堀江貴文氏も、こちらの著書の帯で、「炎上される者になれ!」と言い切っています。

 

自分のことだけ考える。 無駄なものにふりまわされないメンタル術

https://www.amazon.co.jp/dp/4591158314/

 

余談ですが、「炎上される者になれ!」でAmazon内を検索してもこの本が真っ先にヒットするようです。帯の印象が強烈なんですね。

 

さて、「炎上上等」とは言うものの、その姿勢には複数のパターンがあるように思います。

 

堀江氏の複数の著作を読んで思うのですが、彼の言う「炎上」というのは、「賛否両論ある意見を表明することを恐れるな」ということなのですよね。これはまあ、理解できる考え方です。

 

もっとも、突っ込みに的確な返しをするのが苦手なぼくとしては、「よくそれだけ断定的にしゃべれるなあ」と思うこともあるのですが。あ、堀江氏がどうこうというより、もう少し一般的な話として、です。

 

まあそれはさておき、「賛否両論ある意見を表明することによって、議論のきっかけを作る」ことを炎上というのなら、まあそれはアリかなあと思うわけです。

 

でも中にはそうでない炎上もありますよね。「モラルに反することをしてでも注目を集めてしまえば勝ち」みたいな方向性はどうかと思います。もっとも、「Web上で記事をクリックして読んで貰うには、まず人目につくようなタイトルをつけないと興味を持ってもらえない」という状況もこれと似たベクトルということになるのかなあ。難しいところではありますね。

 

まあ、ぼくの場合、発言が炎上というかバズったこともないので、とりあえず、思ったことをきちんと発信できるような、反論が来ても適切に対処できるような、そんな人間でありたいな、と思うのでした。道は遠そうですが。

 

前の記事:『「万歩計」ってありますけど、一万歩も歩くのはなかなか大変ですよね』はこちら

次の記事:『社会が不寛容になっているように見えるのは、「寛容さ」がシステム化されていっているからかもしれない』はこちら