社会が不寛容になっているように見えるのは、「寛容さ」がシステム化されていっているからかもしれない

ども、kotaro(@kotaronline)です。

 

こんな記事を見かけました。

 

「お冷やだけ」の利用も歓迎 カラオケパセラの熱中症対策が「素晴らしい」と話題に

https://news.nifty.com/article/item/neta/12150-364521/

 

「社会が不寛容化している」みたいな論調を目にする機会が多いように感じる昨今ですが、そういう方向だけじゃないんだなあ、とちょっとほっこりしました。

 

でも、読後にちょっと考えたのは、こうやって、「優しさ」や「寛容さ」といったものもシステム化されていくのかなあ、ということです。そして、「システム化されたものから漏れてしまっている領域」がどうしても目につきやすくなる。それが、「『社会が不寛容化している』と感じること」の正体なのかもしれないなあ、なんて思ったりしました。

 

まあ、この考え自体も一面的なものなのかもしれませんけどね(^_^;)。

 

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